雲南省

本日は数件のお問合せを頂戴しました。いつもありがとうございます。
今日は雲南紅豆杉が生息する場所、中国雲南省について少し書いてみようと思います。

私達が販売をさせて頂いている紅豆杉製品の原料は雲南紅豆杉とよばれ
中国の雲南省の限られた地域にのみ生息している貴重な植物です。

インターネットで雲南省のことを調べてみましたので、ブログに書かせて頂きます。

以下、Wikipediaより引用してみました。

地理

全体に荒涼とした岩山が目立つ中国のなかで、雲南省は緑の森林に恵まれている。しかも地形が複雑で、南部の低地では亜熱帯性気候もあれば、北部の高山地帯では亜寒帯性気候もあり、気候も多様である。

このため、動植物相が豊富で、特に園芸の分野では新種の花卉の産地として知られる。

中華人民共和国の最西南部に位置し、南部でベトナム、ラオスと国境を接し、南部から西部にかけてミャンマーと接する。

北西部はチベット自治区、北部は四川省、北東部は貴州省、東部は広西チワン族自治区と接する。

少数民族

雲南省で最も多い少数民族はイ族で、400万を越えている。
中国では雲南省にしかいない少数民族が15ほど存在する。

歴史

「テン (中国史)」、「夜郎」、「爨」、および「雲南省 (中華民国)」も参照

古代には中国の勢力が浸透して郡県が設置されたこともあったが、
晋代には再び後退し、諸民族が分立した。

唐代には南詔が出現して統一王国を形成し、宋代には大理国が
これに代わった。大理はモンゴル帝国のクビライに征服され、
名目的には元の雲南行中書省が置かれたが、
クビライの庶子フゲチを祖とする梁王家の世襲の所領とされた。
クビライが設けた三大王国、二小王国のうちの後者の一つである。

この梁王国は、大理の旧王家段氏の協力のもと、
1390年までこの地を支配し続けた。明の洪武帝により
梁王国が滅ぼされた際、段氏は梁王家を裏切り、
その功績により再びこの地の王として復帰し、
大理王国を復活させようと目論んだ。しかしこの地の
東アジア有数の銀山に目をつけていた洪武帝は、
この地の統治を段氏に委ねることを拒否、この地を併合して
直接支配下に組み込み、南詔以来の独立王国の歴史は終焉を迎えた。
明代には雲南布政使司が置かれ、清代に雲南省が成立した。

明代以後、漢民族が大量に流入して多数を占めるようになり、
漢民族の地になった。日中戦争間は、援蒋ルートをめぐって
中国国民党軍と日本軍との間で攻防戦(拉孟・騰越の戦い)が繰り広げられた。

 
う~ん、少し長いですね^^;
続きは、また後日ブログに書いてみたいと思います。


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